「終戦の日」といえば、8月15日だが、実際には日本国軍の戦争は、終わっていなかった。ポツダム宣言受諾後の8月17日、ソ連軍が北海道を占領するため、千島列島づたいに侵攻してきたのだ。
火事場泥棒を正当化するロシア
当時の日本は軍民疲弊しきって満身創痍の状態にあり、しかも軍は無条件降伏を受け入れたところ。そこへ日ソ不可侵条約を破り、停戦合意後の日本の領土を簒奪するというのは、火事場泥棒としか形容のしようがない所業である。
数日前、駐日ロシア大使館の公式Twitterアカウントが、日本語でこのような発言をし、日本人を挑発した。
「ヒトラーの同盟国、アジアおよび太平洋地域で暴虐を尽くした日本との開戦により、ソ連は極東、とりわけ軍事主義者に占領された中国と朝鮮半島における解放という使命をはたしたのです。」
2020.8.13
ソ連軍が満州と朝鮮半島において、引き上げる日本の民間入植者たちに対して行った行動を、暴虐と言わずして、何と言おう?
北方領土交渉で、ロシアはことあるごとに「正当な戦争の結果だ」と強調するが、このとき、ソ連軍は、夜陰に紛れ、国旗表示を隠して侵攻してきたのだ。これを火事場泥棒と言わず、何と言おう。
スターリンの野望「北海道占領」
ヤルタ会談の後、スターリンは、「北海道占領」を企図して、千島列島伝いに、一気に南樺太と北海道を侵略するつもりだった。しかし、千島列島最北端の占守島には、不屈の大日本帝国陸軍、戦車第十一連隊、通称士魂部隊がいた。日本軍は武装解除の途中で、装備の解除や処分を進めていたにもかかわらず、粘り強く激戦、奮闘し、ソ連軍に甚大な被害を出し、一歩も譲らなかった。この局地戦は8月17日から21日まで続き、スターリンの野望は打ち砕かれたのだった。
この激闘で、日本軍の死傷者は700~800名におよび、ソ連軍は3000名以上の死傷者を出したと伝えられている。ソ連政府機関紙のイズベスチアは
「占守島の戦いは満州、朝鮮における戦闘よりもはるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連人民にとって悲しみの日である」
と述べている。
逆を返せば、この日は日本にとって、大日本帝国軍における最後の勝利を称えるべき栄光の日である。
栄光の日「占守島防衛記念日」を教科書に
日本中が「戦争が終わった」と思い込んでいる間も、極寒の地で奮戦し、北方領土と北海道を守った占守島防衛隊。ソ連との停戦後、彼らは一人残らずシベリアに連行され、強制労働で命を落としていった。
戦後長らく、忘れ去られていた占守島の戦い。近年では、浅野次郎の小説『終わらざる夏』などで脚光を浴びるようになってきている。小誌は、中学、高校の日本史の時間にでも、子どもたちにきちんと教えるべきエピソードと考える。国際社会の非情と、ロシアの行動様式、そして国土の大切さと、それ守った先人たちへの敬意を育むために、格好のテキストになることだろう。
家族と国とを思い、侵略者から祖国を守って戦った彼ら戦士達の、その勇気と信念に、感謝の祈りをささげる日、それが8月19日である。
コメント、ネットの反応
終戦後もソ連は潜水艦で樺太引き揚げ船三隻を小樽沖で撃沈した非道国家
そのスターリンを称賛していた日共
浅田次郎の「終わらざる夏」を電車の中で読んでいたらラストで涙が止まらなくなって恥ずかしかった
父方は旧満洲で
母方は樺太で
ロスケにひどい目に遭いそうになってるわ
大戦中、貧弱なスペックであまり良いところのなかった帝国陸軍戦車隊だったが、
開戦時のマレー電撃戦で戦車第六連隊が、
そして終戦時の占守島防衛戦で戦車第十一連隊が、
最初と最後をキッチリと勝利で〆て格好つけてくれた
ここの頑張りがあるからこそ北海道が守られ
そしてガンパレードマーチに士魂号が登場する事になるのだ
北海道守った英雄たちは歴史に残るわ