かつて大東亜戦争時代、戦地娼婦、いわゆる慰安婦という存在がいたが、「従軍慰安婦」等と呼ばれる制度はなかったし、性奴隷なんていうものでは全くなかった。日本は、朝鮮半島を日本の一部として扱い、多額のインフラ投資、教育投資をしたため、朝鮮半島の文化・生活レベルは最貧国から文明国並に飛躍的に向上した。
これらは無論、歴史の真実である。いや、そんな大げさな物言いをしなくとも、たかだか数十年前の事実である。それが、日本の一部の「良心的」左翼と、南鮮の70代以下の一般国民には分からなくなっている。
日本は朝鮮半島を植民地として支配し、あらゆる資源を収奪し、男性を徴用として奴隷のように酷使し、女性は人狩りで連れて行かれて慰安婦という名の性奴隷にされた。…こんな荒唐無稽な反日捏造史を大真面目で大衆からマスメディアに至るまで共有しているのである。よく南鮮の大統領が「国民感情が許さない」等という物言いをするが、こんな捏造史観を持っていれば、そりゃあ感情的にもなるだろう。しかしその「恨み」の感情は事実無根なのだから、こんな不合理な話はない。
そんな状況の中、一人の反骨の南鮮の歴史研究者が声を上げた。フジ系『プライム・ニュース』に出演した李宇衍氏は、上述のような「南鮮の嘘」を徹底的に事実と論理で暴き立てた。
『慰安婦』について
「慰安婦像はそれ自体が歴史歪曲。性奴隷ではなかった。強制連行や無償で酷使されさと言うのは歪曲された事実。売春業が存在していた朝鮮であえて強制連行する必要がない。そして彼女たちは希望すれば朝鮮に帰れた。かなり高額の賃金が与えられていた。奴隷とは呼べない」
歴史歪曲の始まり
「歴史歪曲は日本で始まった。1965年に朝鮮総連系の朴慶植氏が日韓国交正常化を阻止するために朝鮮人の強制連行を主張した。それを日本の良心的な知識人と言われる人たち(学者、マスコミ、弁護士など)が受け入れた。強制連行と奴隷的なイメージが作られ、韓国に輸入された」
日本統治時代に発展した朝鮮
「1910〜1945年(日韓併合)の間に朝鮮の人口は2倍以上になった。期待寿命は20代から40代になった。外国の経済学者はこの2点を見ただけでも『収奪』とは言わないだろう。こういうシンプルな事実すら(韓国は)受け入れていない。
これらのことが可能だった理由は何なのか。我々の数年間の計算によると、その期間の国民所得は年平均で2.4%の伸びだった。大恐慌や戦争の続いた時代に最も経済成長率が高かった国は3つあった。それは日本、台湾、そして当時の朝鮮だ。」
ハイライト動画が公開されているが、一見の価値ありだ。
あとはこの人は亡命したほうがいいのではないか。反日捏造主義が強固に形成された南鮮社会でこのような発言をすることは、命の危険がある。それでもいつかはこうした「事実」が、日本と朝鮮の間で共有できる未来が来ればいいと思う。そのためには、日本は「内政干渉」の反発を受けることを覚悟の上で、南鮮の反日捏造教育を一刻も早くやめさせねばならない。
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コメント、ネットの反応
強制連行されたのに朝鮮人が慰安所経営してたという時点で
ちょっとおかしいとか思わんのかねぇw
それ以前のはなしだ
日本軍には朝鮮人がいた、その朝鮮人が無理矢理連れ去られた女を性奴隷として扱ったのかって話になる
目の前に無理矢理つれてこられて犯される同郷の女性を朝鮮人の男も混ざって犯すとかカオス過ぎだろw
こんな近代の史実(戦争体験者存在しているのに)が何で謎だらけで
日本人は南鮮に騙されてきたのか理解できない
アメリカ公文書〜戦地娼婦、いわゆる慰安婦についてこの中には次のようなことが書かれていた。
・戦地娼婦、いわゆる慰安婦達の証言では、志願して雇用され高額の給料を貰っていた。
・街へ出かけて化粧品や洋服など好きな物を買っていた。
・時間の関係で全てのお客(兵士)にサービスができない事を悔やんでいた。
・日本人の兵士達とスポーツをしたり、ピクニックをしたり、宴会をしたり、様々なイベントを一緒に仲良くやっていた。
・借入金がある戦地娼婦、いわゆる慰安婦は、その返済が終わり、希望があれば国へ帰ることが出来た。
・日本の兵士と結婚する者もいた。
さらにこの尋問をした米兵の主観として
「戦地娼婦、いわゆる慰安婦達は、日本人の基準でも、白人の基準でも綺麗な女達ではない」と書かれている。
要するに戦地娼婦、いわゆる慰安婦は「不細工だった」と言う事が書かれていた。
山ほど売春婦いたのに素人連行する必要ないだろ
南鮮では
戦地娼婦、いわゆる慰安婦婆さんが
日本の郵便局に送金して
ものすごい金を貯め込んでたことは
どう認識してるんだ?w
非業の死を遂げて、死んでから売春婦に仕立て上げられた少女、シムさんでしょ?
沈美善(シムミソン)さんが戦地娼婦、いわゆる慰安婦像になったいきさつ
https://blog.goo.ne.jp/kerorogoogoo/e/6f0d4d0e9f9142e036d5ad937ba9fa21
在韓米軍の戦車が南鮮人少年少女2人をひき殺す
↓
少年少女2人の像を作ったが少年像1体のみ飾られることになり少女像体が余る
↓
余った少女像を買い取り戦地娼婦、いわゆる慰安婦像として販売する業者が現れる
↓
戦車で轢かれた少女像が戦地娼婦、いわゆる慰安婦像として広まる
元戦地娼婦、いわゆる慰安婦・文玉珠(ムン・オクチュ)の回想
「文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「戦地娼婦、いわゆる慰安婦」だった私」(梨の木舎 1996年2月初版)
ビルマ(ミャンマー)行きの経緯




大邱でキーセン修行をしていた1942年、18歳の時、以前満州の遊郭で同僚だった友人の女性2人に
「金もうけができるよ」と誘われ、南方の軍の食堂で働くため、母にも知らせず汽車で釜山に行き、
他の満州遊郭時代の同僚の女性達とも合流して台湾行きの船に乗った。
女性達を引率したのはマツモトと名乗る顔見知りの朝鮮人と60歳過ぎの朝鮮人の男とその甥の3人。
元戦地娼婦、いわゆる慰安婦・文玉珠(ムン・オクチュ)の回想
ラングーンでダイヤを買ったり、映画や歌舞伎を鑑賞




元戦地娼婦、いわゆる慰安婦・文玉珠(ムン・オクチュ)の回想
空襲が激しくなったので帰国を申請し、許可がおりて終戦前に帰国の途に。


日本軍人の殺害と無罪判決


元戦地娼婦、いわゆる慰安婦・文玉珠(ムン・オクチュ)の回想
文玉珠の貯金


貯蓄額は、元本が25,245円、日韓条約締結の1965年4月現在の元利合計は50,108円。
それ以外に5,000円を大邱の実家に送金している。
慰安所の帳場で働いていた朝鮮人の日記を調べた崔吉城教授は
当時の貨幣価値を、当時の公務員の給与を75円、それを現在の20万円として
推定しているが、その計算法を使うと、文玉珠の貯金25,245円は、今の6,732万円、
実家に送金した5,000円は今の1,333万円になる。
当時、故郷の大邱では1000円で家が1軒買えたそうだから、
文玉珠は18歳から21歳の2年半に、家に送金した分も合わせると、
故郷で家30軒以上を買える金額を貯蓄していた。
真実を突きつけても奴らは信じない
そういう教育を受けてきたからな
反日種族主義者が隠すFACT
南鮮軍がベトナムで行った
虐殺、強姦、放火、略奪
民主化で明らかに
1999年、南鮮のベトナム戦争観を揺さぶる出来事が起きた。
南鮮の有力週刊誌『ハンギョレ21』が「南鮮軍が、ベトナムで
老人や子供や女性をたくさん殺していた」との記事を掲載した。
執筆者はベトナムに留学中の歴史専攻の大学院生、ク・スジョンさん。
南鮮は1992年にベトナムとの国交を正常化した。ク・スジョンさんは
1993年にベトナムに留学。以後、ベトナムの歴史研究を続けていた。
1997年、金大中氏が南鮮大統領に当選して南鮮では民主化がすすめられた。
こうした状況下で、ベトナム戦争に関するパンドラの箱が開けられたのである。
ホーチミン市でベトナム戦争の調査を続けていたク・スジョンさんによると、
執筆のきっかけは、南鮮軍による民間人虐殺を調べたベトナム政府の
内部文書を入手したことだった。「子供や妊婦を虐殺」という内容に驚いた。
「子供の頭を割ったり首をはねたり、脚を切ったりして、火に放り込んで殺した。
女性を強姦してから殺害した。強姦しながら拷問した。妊婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰した」という、身の毛もよだつような記述を読めば、誰でも、「マサカ? ホント?」と驚かざるをえない。
http://www.kyodemo.net/demo/r/kokusai/1563595361/
そもそも戦地娼婦、いわゆる慰安婦像じゃないし。
米軍の装甲車に轢き殺された女学生二人の像を、米軍基地前に置いたら、
「ふざけんなよ殺すぞ」と凄まれて、すごすご引っ込め、
「じゃあ戦地娼婦、いわゆる慰安婦像と言うことにするニダ」って使い回したやつでしょ。
それで、横に空席の椅子があるの。TVじゃ絶対に報道しないけどね。
元モデルの少女も浮かばれないよ。死んでから売春婦にされて。遺族はどんな気持ちなのかね?
元から死者を冒涜する像じゃ、真実知ったら許可した外国の自治体も即撤去させんじゃない?まともな自治体なら
事実かどうかは関係無い
日本を叩けるなら何でもいいのよ
日帝憎しで洗脳してきたんだから叩ければ皆楽、反発と感じたら教養ある無し関係無くなりふり構わずブチ切れる民族