第二次大戦末期に、沖縄で住民の集団自決という事件がありましたが、これについては、長年「軍が自殺を命令した」とされてきました。私も学校でそのように教わった記憶があります。
しかし先日、 戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)が、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにした。」と証言しました。
遅すぎた告白ではありますが、勇気ある証言でもあります。昭和史の暗黒に一筋の光が差し込んだような気がします。しかし、何とも重い話です。
「赤松隊長が余命3カ月となったとき、『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。 でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。」
イザ!:「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん
赤松隊長は、死の直前になって名誉の回復を望みましたが、黙殺されました。さぞや無念だったことでしょう。 しかし、世の中には、未だに名誉を回復されず、辱められ続けている大日本帝国軍人がたくさんいます。
以下は、その一部です。 未だ回復されざる皇軍の名誉
・南京大虐殺
戦後最も多くの論争が起こったのがこの部分ですが、今ではこれが中共のプロパガンダに過ぎないことがほぼ確実視されています。虐殺が「あった証拠」が証言以外に出てこないのに、「なかったことを裏付ける資料」はいくらでも出てきます。 また、戦後の軍事裁判まで、日本軍の罪ならあることないことなんでもでっちあげ続けた支那人が、国民党も共産党もこの件については何も言い出さなかったということだけでも決定的なのではないでしょうか。(資料)(資料)
・百人斬り
東京日々新聞による、戦意高揚のための創作記事で、野田毅、向井敏明少尉が中国兵を斬る競争をしたとして南京軍事裁判に於いて射殺されました。これは完全なる創作記事であったにもかかわらず、記者は自分が責められることを恐れて、最後まで口をつぐみ、両少尉に罪をかぶせました。 (ところで、敵兵を斬ることの何が罪なのかはよく分かりません)(資料) ・捕虜虐待 「バターン死の行進」など、当時の日本の状況では当たり前とされる状況が、「捕虜虐待だ」とされました。当時、日本にはジープなどほとんどなく、兵士も捕虜と一緒に行軍したのに「炎天下を歩かせるのは虐待だ」、貴重な食料を割いてきんぴらごぼうを与えれば「木の根をかじらせるとは虐待だ」等々…。多くの罪なき将校が死刑になりました。逆に日本人捕虜に対する、連合国軍の人種差別的偏見に基づいた虐待には筆舌に尽くしがたいものがありました。にもかかわらず、橋本総理は日本軍捕虜を虐待死させたイギリスに土下座をするという愚挙を犯しています。(資料)(資料) ・従軍慰安婦 日本軍は、現地で強姦や暴行を行なわないために、各国と同様に兵站娼家を利用しました。占領地での暴行や略奪は、現地の反感を買い、占領政策を難しくするからです。 しかし、中韓日の反日活動家の手によって、「日本は性奴隷をもった恥ずべき国」という屈辱的なレッテルを貼られ続けています。(資料)(資料)(資料)
・日韓併合
「日韓併合にはいい面もあった」と言っただけで批判される時代です。韓国にとって悪い面が何かあったとでもいうのでしょうか。内地拡大政策(韓国の日本化)ではなく、単純な植民地にして軍政を敷いていれば、今のように「日本軍」が世界で悪く言われることもなかったかもしれません。(朝鮮人兵士は、元寇時代同様その暴虐ぶりで忌み嫌われた)(資料)
・強制連行
従軍慰安婦や在日朝鮮人に関して、未だにこの「日本軍が朝鮮人を強制連行した」という悪質なデマゴーグが横行しています。これは、現在に至るも、在日特権の理論的・思想的背景となっているものと思われますが、すでに在日支配の進んでいる既存メディアでこの問題が取り扱われることはなさそうです。(資料)
・A級戦犯
終戦直後、政府は「戦犯を、国内法上の犯罪者としない」旨の通知を出しています。また、A級戦犯とされた人が釈放後に国の要職に就くなどし、靖国神社にも合祀されたことを受けて、「国内では既に実質的に名誉は回復された」とするような風潮もありますが、今またこの問題が再燃しています。国際的にも彼らの名誉は全く回復されていません。
・特攻隊
「心ならずも」「犬死にだった」などの、英霊に対する侮辱は、一体いつまで繰り返されるのでしょうか。
これらの名誉が回復されるように研究を進めること、数少ない証言者が名乗り出られるような世論を形成すること、中韓の歴史ねつ造運動に断固として立ち向かうことが、我々の世代の責務、未来の日本人に対する責任なのではないでしょうか。
コメント、ネットの反応
南京大虐殺は朝日の本田勝一氏の著書が日本での震源地だったかと記憶していますが、当時20万人の人口南京市でどうして30万虐殺になるのか、単純に数が合いません。
100人切り不可能でしょう。日本刀は鍛造で作られてますから折れることは少なくても、2-3人も切れば刀身が曲がり鞘に納まらなくなるなんて想像もしなかったんでしょう
当時の裁判関係者は。
閑居堂 小善
いつもお疲れ様です..
捕虜虐待のB級戦犯は理不尽な事実認定だったと,知り合いのご尊父殿より聞いています.
あと「憲兵」についても,理解不足から不名誉な扱いを受けていると見受けられます.
竹村さん、おはようございます。トラバありがとうございます。
名誉が回復されないまま、生き証人がいなくなり
残るのは嘘を嘘と知らない中韓の大声だけ…となる悪寒。
しかもそれは全世界に向けて喧伝されてるような状態で…
いったいどうしたらいいのか…
地道な修正活動プラス
やはり国家国民の品格世界一の実現 でしょうか。
あと、「力」(font size=7) も。
こちらには私に足りないものが沢山あって、とても勉強になります。
それと公共性への配慮と個性のバランスが絶妙です(とナマイキに)
拝見してて楽しいので、今日もポチっとな
して行きます。
他国のメディアが我々の先祖のことを云々するのはあるていど仕方のないことだが、我々自身が自分たちの先祖について、あまりに冷たく、いい加減にしか知ろうとしないでいるのは、逆に少なからず他国の軽侮を招く。愚かだ。
物質的な豊かさはともかく、精神的には人間なんて何万年もろくに進化していないわけですから、自分たちが正しくて先祖は悪い人ばかりだったなんてありえないですね。日本の名誉回復を祈ります。
>>閑居堂さん
支那はいわゆる白髪三千丈の世界ですからね。「南京大屠殺(笑)」の被害者も年々増えていってるようですし。人口の件だけでも、既に虚構は崩壊しているのですから、今度はこれを国際的な共通認識にまで高める必要があると思います。
>>talkenさん
いつもありがとうございます。BC級戦犯の殺害、これも実に許せない話です。有条件降伏した日本兵を、だまし討ちで一人ずつ殺していったのですから…。
今やっているNHKの朝の連ドラでの憲兵も、非道い描かれ方をしていると聞きました。
>>jennieさん
嘘が拡大再生産される中で、真実を知る人は少しずつ減っていく…。本当に、今が最後のチャンスなのだと思います。あと10年、日本が今までのように部屋の片隅で黙って三角座りをしていたら、永久に名誉を回復されることはなくなってしまうかもしれません。
「節度有る偏向」を心がけておりますので、お褒めにあずかり光栄です。今日も明日もぽちっとな!よろしくお願いします。
>>kinnyさん
他国が云々してもいいのですが、それが明らかに事実誤認の場合は、沈黙と謙譲を美徳とする日本人といえども、抗議の声を上げなくてはならないと思います。
我々自身がそれをするというのは、問題外ですね。自分たちの国について無知なるものは、世界中どこの国に行っても軽侮されます。
>>阿比留瑠比さん
そうやって論理で考えただけでも必然的に分かりそうなものですよね。むしろ現代人に比べて、明治~昭和の日本人の何と立派だったことか。それなのに、未だに偏向教育をして生徒に「日本人に生まれて恥ずかしい」などと答えさせて喜んでいる変態教師が跋扈しているこの現状。
阿比留さんのような憂国の記者のますますのご活躍を期待しております。
竹村裕次様
「南京大虐殺」については、朝日新聞の本田勝一氏の著書を私は読んだ記憶がありますが、多分それ以前に、産経取材班の「蒋介石秘録」に同様な記録が記述されていることを最近知り、御社の広報部で事実確認をさせていただきました。
そこで、「蒋介石秘録」の中には、昭和49年8月15日から51年11月13日まで2年余りに渡って産経新聞紙上に連載され、全15巻の本にもなっているそうです。
近代日本と中国とのかかわりあいを中国側の資料から見直して語ってみようというのが企画の狙いで、当時の中華民国(台湾)の公文書、蒋介石自身の記述や日記などに準拠し、記事化したものだそうです。
従って、被害者40万人という数字は、あくまで台湾側の資料に記載されていたもので、産経新聞社が、その数字を肯定したということではなく、連載当時は南京大虐殺についての研究もあまり進んでいませんでしたので、蒋介石秘録の中では、「東京裁判の判決によると南京で虐殺されたものは、一般人、中国人合わせて少なくとも20万人以上、略奪放火された家屋は、全市の3分の1とされている」との補足説明を付けてあるそうです。
あなた様は“虐殺が「あった証拠」が証言以外に出てこないのに、「なかったことを裏付ける資料」はいくらでも出てきます。”と仰いますが、具体的に何がなかったのですか?
それから、あなた様は「また、戦後の軍事裁判で、日本軍の罪ならあることないことなんでもでっちあげた中共が、…。」と仰っていますが、戦後の主な軍事裁判に関与したのは、中華人民共和国(中国共産党)ではなく、中華民国(国民党)だったはずです。
公知の事実について、あなた様が誤認したままだと、あなた様が発信する記事の情報変化容量が大きくなり、信頼性が低くなるのではないでしょうか?
竹村裕次様
御社の広報部で事実確認をさせていただきました。
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◇次に、「『今明かす戦後秘史』(共著)でも慰安所の設置運営に関与した事実を自認していた(鹿内本人が陸軍省に勤める主計中尉だった)」という記述についてですが、同書は櫻田武、鹿内信隆両氏の対談をもとにしたもので、昭和58年11月に上下2巻が出版されています。ウィキペディアで指摘している部分は、以下のようなやりとりになっております。
鹿内 それから、これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が…。
櫻田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。その時に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの″持ち時間″が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分…といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。
戦争と性の問題は、どこの国にも共通した悩みで、悲しいかな慰安婦制度は必要悪と
して存在していたともいえます。
この慰安婦問題について産経新聞社は、慰安所の設置・運営等について軍隊が関与していたことまでは否定していません。いわゆる「従軍慰安婦」をめぐって、さまざまな論争が繰り広げられた時、産経新聞社が問題にしたのは、「従軍慰安婦」なる言葉は適切でないこと、それに朝鮮人女性らを慰安婦にするため軍を含む官憲の組織的な強制連行があったという信憑性のある資料ないし証言は存在していないということです。
平成5年8月4日、政府は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた」とする河野官房長官談話で、強制連行があったかの如く述べていますが、その後、当時の官房副長官だった石原信雄氏が、「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲よる慰安婦の強制連行を裏付けるような記述は見出せなかった」と証言。石原発言を受けて河野氏自身も、朝日新聞紙上で「(慰安婦の強制募集を示す)公文書はなかった」と語っていることは周知の事実です。
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因みに、「従軍慰安婦」なる言葉は適切でないなら「従軍売春婦」またが「皇軍専用売春婦」とでも表現摺れば適切なのでしょうか?
もしもし、竹村裕次様、おきていますか?
被害者数はさし措いて、産経取材班が「蒋介石秘録」のなかで報道した「南京大虐殺/南京虐殺」があったという事実を否定する資料はございますか。
産経新聞の鹿内信隆両氏が、陸軍省に勤める主計中尉だったころ「ピー屋設置要綱」に従って、調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの″持ち時間″が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分…といったことまで決め慰安所の開設に自ら関与した事を認めた『今明かす戦後秘史』は捏造のガセネタだったのですか?
それとも、軍に従属する慰安所を意味する俗称の「ピー屋」で、兵士の性的欲望を処置するために働く婦人を「従軍慰安婦」と呼ぶ慣習は不適切ですか?
「従軍慰安婦」の実態が詳らかではありませんが、それは「性奴隷」というべきものですか?
「性奴隷を持つ事が恥ずべき屈辱的なこと」ですか?
「レッテル」の表現の当否はさし措いて、貼られた「レッテル」を物理的にいくら剥がしたところで、屈辱は消えないのではないでしょうか?
>mochizuki様
こんばんは。起きていますが、このところの激務で終電続き、眠る暇もブログを更新する暇もありません。早く私も悠々自適なブログライフを送りたいものです。
さてご指摘ありがとうございます。本文中の該当部分を修正いたしました。
その他のご質問につきましては検討材料とさせていただきます。望月様は博学でらっしゃいますね。
最後に、私は単なるイザユーザーであり、産経新聞社とは何らかかわりのない一個人であることをお伝えしておきます。
竹村裕次様
此処での貴方様のご意見は、産経新聞とは関係なくても、彼処貴方様のご意見は産経新聞の大切な要素であると私は認識しております、同じ対象に関係して此処と彼処で思うことが全く異なるなら別ですが…。
しかも、記者ブログの人選は会社の上層部が指名したのではないかと思っていました、皆様が社名と所属を曝しているようですので…。
因みに、蒋介石秘録の中に「日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、日本の新聞に大きく報道された。」という記述がありますが、これは、斬殺した相手が「敵の兵士」ではなかったことが問われたのだと、私は認識しております。
余談ですが、「南京大虐殺」などで、「斬首」は、残酷な殺害方法だと一般的に認識されているようですが、イスラム社会で羊を屠殺するときは頚動脈を一気に掻っ切るのが慈悲であり、また、脳外科医で落語家というある人に、頚動脈を一気に掻っ切るのが最も確実で苦しまない自殺の方法だと教わったことがあり、絞首や銃撃の方が残酷な殺害方法ではないと思います、未だ何れをも、目撃も体験もしたことはありませんが…。
因みに、竹村様よりも30年ほど私の方が余分に生きているだけで、私の知識の量などは高が知れていまが、然し、失敗したことがない人よりも、失敗する度にそこに手を突いて再起した人の知識の方が役に立つことを体験的に知っています。
ここは記者ブログではございません。つまり私は産経新聞の社員でもなんでもなく、単なるいちユーザーなのです。
竹村裕次様
非常に重要な勘違いし、大変失礼を致しました。
あなた様の記事が、本質を突いておりましたので、産経新聞の記者さんの中にも「広目天」と思しき人がいると喜び、また、カタカナ語を理解する能力が私は乏しいものですので、「バックパッカーの日々を経て、現在はPR会社で日本を変える企画を練る日々。思想は愛国保守。」という表現から産経新聞関係のお仕事をしていると勘違いしておりました。
竹村裕次様と産経新聞関係者の皆様および読者の皆様方には、私の勘違いによりご迷惑をおかけしたことを、この場をお借りしてお詫びいたします。
尚、仏法を擁護する四天王の1人で「virupaksa(ヴィルパクシャ;千里眼を持つ者)」の意をもつ「大廣目天」は、全ての世界の出来事を漏らさずに見届け、この世の真実を書き留めるために巻き物と筆を持ち、邪鬼を踏みつけた姿で表現されるのが一般的であるとされていることから「法を守護する情報の神」と認識し、竹村裕次様のご活躍に私は期待いたします。