こんばんは。広目天の竹村です。さて、かなり出遅れた感がありますが、岡崎某というアングロサクソンの家畜人が産経新聞にこんなコラムを掲載していました。
イザ!:【正論】岡崎久彦 遊就館から未熟な反米史観を廃せ
■「靖国」の尊厳すら損ないかねず
《これでは靖国をかばえず》
戦時経済により、アメリカが不況の影響から最終的に脱却したことは客観的な事実であろうが、それを意図的にやったなどという史観に対しては、私はまさにウイル氏が使ったと同じような表現-歴史判断として未熟、一方的な、安っぽく、知性のモラルを欠いた、等々の表現-しか使いようがない。
私は遊就館が、問題の個所を撤去するよう求める。それ以外の展示は、それが戦意を鼓吹する戦争中のフィルムであっても、それは歴史の証言の一部であり、展示は正当である。ただこの安っぽい歴史観は靖国の尊厳を傷つけるものである。私は真剣である。この展示を続けるならば、私は靖国をかばえなくなるとまであえて言う。(おかざき ひさひこ=元駐タイ大使)
プロフィール欄に「思想は反米保守」などと書きながら、連日半支反鮮ネタしか書いていない私の真の出番がとうとう来ましたよ。
と言っても、最早ほとんど語ることはないわけですが、一体この人はどこの国の人間でしょうか。まあこの御仁は以前、TV番組で
「過去400年間の歴史を見 れば子供でもわかる。アングロ・サクソンが常に戦争で勝っている。彼等に歯向かった国は亡びている。この強いアングロ・サクソンに盲従するのは日本の国益に合致する。良い悪いは関係ない。」
なんて言い切ってしまった、生粋の媚米派売国奴ですからね。(参照)
この人、「靖国をかばう」とか言って産経系の“親米ホシュ”に媚びているつもりのようですが、まったく意味不明です。「このままでは私にも靖国をかばえなくなるぞ」って何様ですか。
なんでしょうか。「中共の抗議は内政干渉だが、アメリカの抗議にモウジュウするのは日本の国益に合致する。良い悪いは関係ない。」とでも言うおつもりでしょうか。「アメリカの抗議は良い抗議」でしょうか。
こうして考えると、この人の頭の中は中南海かワシントンかの違いだけで、結局は「外国に媚びて歴史を修正しろ」といっている、あの頭の弱い左翼どもと精神構造、売国奴指数はほとんど変わらないのでした。
コメント、ネットの反応
お疲れ様です..
遊就館の展示に言いたいことがあるなら,直接遊就館に行かれればいいのに,紙面であの言い方で申されるのは,相当自己顕示欲が強いのですね..
岡崎氏の品格が見透けてきます.
もはやその岡崎某は、そのウィルとやら言う紅毛人の走狗ですね(呆
>紙面で主張
おそらくは、紙媒体という証拠を残すつもりなのかと。
安っぽいだのという稚拙な表現には呆れましたが、それにも増して、「私は靖国を庇えない」などとは。
どこの国家主席の発言か?大上段に構えて誇大妄想を連ねるのも結構だけれど、米国の走狗となり果てた精神性こそが安っぽい、知性とモラルを欠いた姿にしか見えませんね。貴様はどこの国の人間なのかと。
私は一時期岡崎氏を非常に尊敬し、本も愛読していましたが、最近は氏のあまりの媚米ぶりに、すっかりあきれてしまいました。
反支那、反朝鮮の知識人の中にも、表の顔ではパートナー、友人としていながら裏のそれでは朝貢と隷従を強制する米国に対して、あまりに危機感がない人がいるようですから注意が必要ですね。
>裕次さん
岡崎氏の該博な知識や外交史に対する視点は注目すべきものがあるので私はよく読んでいました。ただ、本まで買う気になれなかったのは、今回のことで彼の異常なまでのアメリカへの偏向臭の所為だったと気づきました。
<この展示を続けるならば、私は靖国をかばえなくなるとまであえて言う。>
こんな言い方をするのは、誰かを分祀するとか,代わる施設を作るとか言っている連中と本質的に変わりはない。後世の我々には<靖国神社に祀られている霊>に感謝するならその処遇を変える立場にはないことをわきまえ無ければならない。
何だこの男は言い分は!!
竹村裕次様
岡崎久彦媚米バター犬・反中噛ませ犬の「過去400年間の歴史を見れば子供でもわかる。アングロ・サクソンが常に戦争で勝っている。彼等に歯向かった国は亡びている。この強いアングロ・サクソンにモウジュウするのは日本の国益に合致する。良い悪いは関係ない。」との発言を、私も以前TV番組で聞いたことがあります。
だけど、アメリカはベトナム勝ったのでしょうか、アメリカはアメリカに負けて亡びるのでしょうか?
余談ですが、三十数年ほど前に:
アメリカ人の英会話の先生に、“日本を侵略する危険性が最も高いのは何処と思うか?”と質問され;
私が、“中国・ロシア・北朝鮮・韓国には、日本に侵攻して在日米軍と戦争する理由・戦力はないだろうから、既に軍隊が日本領土に駐留している米国だろう。米国が日米安保条約の範囲を超えて軍事行動をしたとき、日本も戦争に巻き込まれる危険性が最も高い。”と回答したところ:
先生は、“その通りだよ。日本は常にそのことを念頭に置いて、独立国としての主体的な防衛戦略を考えなければいけない。”と忠告してくれました。
それ以降“汝、須らく一身(一国)の安堵を思うならば、先ず、四表(天下・世界)の静謐を祷らん者か…”という語を一念(日常心)とし、日本国憲法9条に関する日教祖さまの固定観念に基く教条主義を棄てた上で、改めて日本国憲法9条を尊重し・擁護しなければならないと肝に銘じました。
陸海空軍その他戦力は保持せず、中立国の黙認義務・避止義務・防止義務を履行し、已むを得ず戦争をするときにだけ戦力使えるような軍事力を備える必要があると思います。
また、政府の行為による戦争の惨禍が再び起きないようにするために国の交戦権はこれを認めず、已むを得ず戦争をするときにだけ、国民の総意で特別に交戦権を許可するための国民投票法を制定する必要があると思います。
また、「国民意識;ナショナリズム」を抑制し、国際の平和と安全に対する脅威の防止と武力紛争の除去に対する国連安保理の措置に対しては、独立国としての自主的な判断で協力する必要があると思います。
ま、国連憲章の旧敵国条項を堅持し、武力による協力は、なるべく日本国および相手国の交戦権を認めない範囲で、控え目にするのがよいとは思いますが…。
竹村裕次様
イラクへの自衛隊の派遣・駐留に関する討論で、岡崎久彦氏は“いったん決まったことに反対するのは醜い。決まったことに従うのは民主主義の鉄則だ”と、相手の寺島実郎氏の意見を一蹴したのを、私も聞いた記憶があります。
岡崎氏は、媚米バター犬・反中噛ませ犬としての訓練を、旧来の「鉄砲玉(弾道弾)理論」で受けていたようですね、だから命中率が低く、国際情勢の分析も“下手な鉄砲も数撃ちゃ中る”とばかりに、頻繁に「マスゴミ」を垂流しているのでしょうか…。
時間的・空間的な流れの中で絶えず変化している国際情勢の分析は、移動する標的に対して絶えず軌道を修正できる「誘導弾理論」の方が命中率が高いのは明確な事実であり、民主主義の属性は「多数決の原則・法定主義・是正行動・継続的改善・創造的改革・…」だと、私は思います。
竹村裕次様
貴方様の思想は「愛国保守」または「反米保守」と謳われておりますが、「愛国」の属性と「保守」すべき事柄の具体的な内容および、「反米」の理由をお聞かせいただけたら幸甚です。
竹村裕次様
渡嘉敷島での集団自決が軍の命令ではなかったというのは本当でしょうか?
この自決者たちは、準軍属として扱われて靖国神社に合祀されているのでしょうか?
だとしたら、靖国神社はどのような処置をするべきでしょうか?
http://www.sankei.co.jp/news/060827/sha048.htm
>talkenさん
影響力のあるふりをして自己顕示欲を充足させつつ、何かあったときには「別に遊就館に直接言った訳じゃないし」と責任逃れできるようにしてあるのでしょうね。
何が「かばえなくなる」だ。
>take-meさん
この岡崎某には日本人としてのモラルのかけらもありませんね。エノラ・ゲイでも拝んでいるといいです。
呆れます。何が「インテレクチュアル・インテグリティー」だ。
>izasaburou
お恥ずかしい話、私はこの人の著作を読んだことはなかったのですが、残念ながら今後も読むことはないと思います。この人はアメリカ人になりたいのでしょうか。心まで支配されてしまっては、本当に植民地になってしまいます。
アメリカは本当に友人か? 私たち一人一人がもう一度考えてみるべき時に来ているようです。
>mudabanasiさん
いやあ、まさか靖国神社がこの人がかばってくださっているおかげで存続しているものだとは、つゆ知りませんでした。神様より偉い人が日本にいたなんて…。ありがたやありがたや。笑。
冗談はさておき、そうです。「国の歴史や誇りよりも外国の都合が大事」「外圧優先」のこの姿勢は、対象が支那からアメリカになっただけで、靖国破壊論者の左翼と本質的に変わりませんね。
何が「私は真剣である。」だ。(冗談だと言って欲しい…)
>mochizukiさん
走狗でもポチでもなく、バター犬と来ましたか。言い得て妙ですね。
岡崎市への質問状、興味深く拝見いたしました。思うに、公人だ私人だに始まり、「不戦の誓いだからいい」「○日だからいい」「宗教行為か否か」など、理由や言い訳を探すから内外の問題が紛糾するのではないでしょうか。靖国神社への参拝は、首相に課せられた暗黙の責務としていいのではないかと思います。
30数年前のエピソード、面白いですね。アメリカ人は日本人よりよっぽど冷徹に日米関係を見ています。アメリカ人は、常に表面上は愛想良く握手をしますが、腹の中では自分たちのことしか考えていない傾向があります。映画『グレムリン』のモデルが日本人だという裏話も、さもありなんという感じです。
竹村裕次 様
お忙しい中、お返事ありがとうございました。
戦死・戦災死・刑死・獄死・病死・自然死などの死に方で霊魂を差別する考えもなく、死者に対する追悼・慰霊・供養・回向は夫々のが信ずる作法でやるべきで、私は神道の信奉者ではないから、「靖国神社への参拝は、首相に課せられた暗黙の責務としていいのではないか」とのご意見には断固反対します、その理由は、追悼・慰霊・供養・回向の作法を擬装することは、反って霊魂を貶すことになると思うからです。(100%本気です)
従って、私が首相になったとき困ります。(1/1億3千万、本気です)
然し、靖国神社を真剣に参拝する人が首相になることは、例え、靖国神神社の宮司が所定の手続きを経て首相になっても、其れを非難したり、貶したり、侮蔑したりはしません。
因みに、“アメリカ人は日本人よりよっぽど冷徹に日米関係を見てる”と言うよりは、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒は、「取引と約束」に対して冷徹なのではないでしょうか?
旧約聖書に、「神」との「約束」を破れば生命をを奪われ、国家が滅亡するのは当然だから、「神」と「取引」をしたと書かれているそうです。
竹村裕次 様
アメリカ人は、表面上は常に愛想良く握手をしますが、腹の中では自分たちのことしか考えていない傾向があるかいなか、よく分かりませんが、表面上は常に排外的で、腹の中では自分たちのことしか考えていない傾向よりはマシではないでしょうか。
三十数年ほど前に、英作文の先生(アメリカ人?)に“欧米社会で食事に招待されて、自分の嫌いな食べ物を勧められたときに、何と言って断るか?”と質問され;
小生が“私は好きな食べ物はあるが、嫌いな食べ物はないのでよく分からないが、もし、そのような事態に遭遇したら、正直に「その食べ物を私は苦手です」と断ります”と答えたら;
先生は“それでは、折角のご馳走を準備してくれた人に失礼になり、その後気まずくなるだろう。”と教えてくれました。
小生が“それなら、「たくさんご馳走を頂戴し満腹でたべられますん」と断ります”と答えたら;
先生は“それでは、次に出てくるご馳走も食べられなくなるよ。”といい、小生が返答に窮していると;
先生が“「I like it very much, but it do’nt agree with me.」というのが最良の断り方だ”と教えてくれました。
小生が“その意を理解せずに、なお「美味しいのよ」などと勧められたらどうするか?”と訊ねたら;
先生が“相手が欲しくもないものを無理強いするのが親切だと勘違いする風習が日本には確かにあるが、欧米では、そういう人は「water off a duck’s back」と陰口を言われるから、愛想悪く強要するとき以外に、そのよう心配は、先ずないだろう。”と教えてくれました。
(続きです。)
私は、そのアメリカ人先生による“その通りだよ。日本は常にそのことを念頭に置いて、独立国としての主体的な防衛戦略を考えなければいけない。”との忠告を、日本の再軍備の必要性として解釈いたします。日本がアメリカの属国として行動せざるを得ない以上、主体的な防衛戦略を手に入れることはできません。
私の愛国心は、家族を起点とし、親、先祖へとさかのぼっていく縦軸と、親類縁者、郷里へと広がっていく横軸とでつづられた、日本と言う国家を愛し、その繁栄と独立を願うものです。
私が保守しようと考えるのは、日本が神代の時代から連綿と培ってきた精神性、風土、伝統、歴史などです。
私の反米姿勢の根本にあるのは、大東亜戦争での惨禍、原爆の投下などの戦争責任や戦争犯罪について、勝者たるのアメリカもいずれは裁かれねばならないとする考えからです。
安全保障上、アメリカに守ってもらわなければならないのが現状ですが、日本男児たるもの、このような状況に対して忸怩たる思いを抱えていなければならないのではないか。そのように考えております。
渡嘉敷島の件についての私の考えは、こちらの記事に述べたとおりです。
http://koumokuten.iza.ne.jp/blog/entry/30898/
さてアメリカ人先生による英語講習、大変面白いのですが、先生が一点勘違いされている点があるように思います。
日本人が「相手が欲しくもないものを無理強いするのが親切だと勘違い」とするのはややうがった見かたであり、「例え欲しくても遠慮するのがマナー」とされていたからこそ、熱心に勧めるようになったのだと思います。もっとも、こうした慣習は昨今ではかなり薄れていますし、贈り物もその場で開ける方が主流になっているようではありますが。
竹村裕次様
孫子に「兵を為すことは、敵の意を順詳することにあり、…。」とありますが、態々大戦争をし、終わってから61年も経過して、相手の意を順詳することも、相手に意を順詳されることもなく対立しているなら、もう一度戦争をやりなおしますか?
古来、“軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為すなり…”等云々とか、また、“毒を変えて薬と為す法が妙法なり…”等云々の言葉があるように、邪悪な犯罪を逆縁として協和するのが人間の知恵と勇気であり、過去の戦争を、侵略戦争だとか、否、正当な防衛戦争だとか、恨み辛みを言って諍いを続けている間は、互いに文化が成熟していない証拠だと思います。
明治維新以降の日本でも、琉球民族・アイヌ民族・大和民族が其々独立して存在できずに日本民族となったことは歴史が証明する事実であり、日本民族が未来永劫に亘って存続できる保証はないのが自然法の摂理であり実相だと思います。
日本民族を変えずに保持するには、過去の風習に拘ることなく、時勢に合わせて日本人が変化しなければならないということは、「皇位継承問題」などでも具象化されており、中国における漢民族の文化・歴史も然りだと思います。
余談ですが、「例え欲しくても遠慮するのがマナー」という慣習があったから、その反作用として、「相手が本当に欲しくもないのに、遠慮してるのと勘違いして、執拗に勧めるのがマナー」とする風習は、確かに私の故郷にもありましたし、酒の席げもみられ他のも確かです、三十数年ほど前の話しですから。
因みに、私は「カラオケ」なる文明が発達してから、酒を飲む場所が極めて限定されるようになりました。
竹村裕次様
渡嘉敷島の件についての貴方様のお考えはあちらの記事分かりましたが、その事実が確定したときに、その効果・影響は、当然靖国神社の方にも及ぶと思うがその措置を如何するかについてのお考えが、私が質問の主旨でしたが、そのことを慮った記事は見当たりませんでした。
物事の諸法と実相は、根本と末端および究極と畢竟までを等しく慮る必要があると、私は思います。
因みに、「南京大虐殺」について、あなた様は“虐殺が「あった証拠」が証言以外に出てこないのに、「なかったことを裏付ける資料」はいくらでも出てきます。”と仰いますが、「あったという証拠/証言」を打ち消す資料は出てきても、「なかったことを裏付ける資料」は出しようもなく、情報変化容;情報エントルピー (information entropy)を極小値(=0)になるまで究明することは無駄な努力だと、私は思います。
余談ですが、昨年の5月頃、「人民網日本語版」で“日本人はあなた達の日本はアジア国家そしてに対してどんな表示がなくて、(南京大虐殺について)中国に対して基本的な陳謝さえなくて、これはどうしてです?”という中国人と思しき投稿者と議論した経験を、「ここ」に投稿しましたのでご高覧いただければ幸甚です。
「ここ」=http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/31623/allcmt#C32848
Commented by mochizuki <2006/09/03 22:22>
>mochizuki様
まさに亜米利加を順詳せしめることこそ、我が反米の目的でございます。もう一度戦争をやり直すか、また経済戦争か、方法はわかりませんが、亜米利加とは両雄並び立たず、いずれは対決せざるを得ないものと思っています。