おはようございます。時事ブレストの竹村です。みなさん、今日も朝からご苦労さまです。
おっと、今ピクっときた方は、怒る前に最後まで読んでください。
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文化庁から、国語世論調査の結果が発表された。私は例年この種の調査をとても楽しみにしているが、さて今年は…。
目上に「ご苦労さま」15%=「お疲れさま」を侵食-文化庁の国語世論調査
仕事の後、上司になんというか。
調査では、「お疲れさま」という回答が69%と主流を占めたが「ご苦労さま」派も伸びてきていて、15%に達している。
「上司に『ご苦労さま』は失礼に当たる」とマナー研修を受けた人が多いせいだろう、ブログでもこの15%の人に対して、「非常識!」とぷんぷん怒ってらっしゃる方が多いようである。メインの論旨ではないが、『正論』大島編集長も、「 一般的に、目上の人に、「ご苦労さま」というのは失礼とされる。そういうマナーは、一応、保たれているようだ。」と述懐されている。
ところが、実はこれ、敬語の観点からはどちらも正解なのだ。
「本来、ねぎらいの言葉は目上の人が下の人にかけるもの。言葉の使われ方は時代とともに変わるから、逆があってもよいが、どちらの表現が正解と決まっているわけではない」と文化庁国語課。
そもそも、「お疲れさま」は「ご苦労さま」に比べて、あまりいい言葉ではない。
“苦労”は、ポジティブな意味での努力として使われることも多い。苦労は報われたり、努力のように実ったりする。
それに対して“疲れ”は、単純な疲労である。「疲れが報われる」とは、あまり言わないだろう。
例えば、業界によっては、お互いをいたわり合うというコンセプトのもと、挨拶を「ご苦労さま」で統一しているところもあるそうだ。
このコンセプトは、実に理に適っていると思う。「お疲れ」が主流の世間の方が非常識と言ってもいいのではないかな。(常識とは世間の主流派の認識を示すものだとしても)
つまり、これは敬語・国語の問題ではなく、単純にマナーの問題。分けて考えるべきものだろう。
すると、いったい世間一般に流通しているマナーとはなんなのだろうか。
『冠婚葬祭のひみつ』という本では、現在世間一般に流通している「マナー」が、実は全く根拠や伝統のあるものではなく、ある時、ぽっと作られたものであることが暴露されている。
「戒名は○○居士だと相場がいくらで○○院だと格が上になります」
例えばどんなマナー本にもしれっと書かれているこうした“常識”は、仏教の教義的な裏付けがあるわけでもなく、100年前には存在しなかった“伝統”なのだ。
「お疲れ様」支持派が若い世代に多いことも、こうした“創作”マナーであることを疑わせる材料の一つである。
まとめ:上司に「ご苦労さまでした」と言っても良い。正解はどちらでもない。
参照URL
7月27日付・読売社説(2) : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「お疲れさま」支持派は若い世代に多く、20歳代では67%だが、年とともに減少し、60歳以上では43%になる。女性の58%が「お疲れさま」と言うと回答し、男性(49%)と差がついた。
本屋のほんね
現在通用しているしきたりとかマナーとかは、ある一人の天才(塩月弥栄子)によって創作されたものだった、ということがこの本を読むと分かる
業界の常識は世間の非常識-七瀬のたわごと
「キツイ工程、キツイ予算の中、安全と品質に注意しながら工事に携わり、本当にご苦労様ですと、お互いをいたわり合う気持ちから『ご苦労様です』と挨拶を交わすのだ」
コメント、ネットの反応
こんにちは。以前、アメリカ人の知人に「日本人は変だ!なんでお疲れ様って言うんだ」と言われたことがあります。「なんでって、ま、単なる労いの挨拶だよ」と言ったら、英語に訳すと「You must be tired」だろう。疲れてるって決めつけられるのは、けしからん!とプリプリ怒ってました。わはは。でも、英語だって大してよい朝じゃなくても、「Good morning」って言いますよね。
と話は本題から反れちゃいましたが、私は「お疲れ様でした」派です。イメージ的な問題ですけど、やはりご苦労様は上からモノを言う感じ。でも、どっちも正しくないんですね~
片岡さんこんばんは。
だってそれは、疲れてないのに「疲れてるね」と言われたら嫌ですけど、どんより空でも「いい朝だね」と言われたほうが気持ちいいじゃないですか。って、まさかアメリカの肩を持つ羽目になるとは。笑
「ご苦労様」が「上から言う感じ」というのも、世間の空気と共に刷り込まれたイメージかもしれませんよ。でも、どっちも正しくてどっちも正しくないんですね~
確かに言葉って使うのは難しいですよね。最近は目下が目上に対して「ご苦労さまでした」と言っているのを見る機会が多くなってきています〔僭越ながら、私は上下どちらに対しても「お疲れさま」を使っています〕。ただやはり、私などは理屈では分かっていても、目上の人に対しては「お疲れさま」をつい使用してしまいます。長年、それで慣れてしまっている以上、やはり「ご苦労さまでした」を使うことは抵抗があるんですよね。
文化って難しいですよね。竹村さんの記事を見させていただいて、改めて考えてしまいました。
misaranさんこんばんは。
コトバと言うのは移り変わっていくものですからねえ。あと、その人の個人的な言語感覚というのも、小さい頃から今までどんな言葉を見聞きしてきたか、使ってきたかの集積だと思います。
おそらくこのままいけば、「ご苦労様でした」派は駆逐されそうな気がします。(世代比を考えると)